シミ出シテクル夜ノ体液
SSオムニバス形式の青春小説?です。オチもヤマもないので注意して下さい。イミは…本人はあると思って書いてるんですけどね。1. ねずみ
「昨日風呂沸かそうと思って水道ひねったら、しばらくして水が止まったんだ。
そしてすぐに、ごぼっ、っていうかブシュッ、って音がして、水が噴き出したんだよ。
浴槽の中を見たら、なんか黒いぶよぶよのものが浮いてるんだ。
水道管の汚れがつまってたんだと思った。いや、すさまじい量だけどね、実際。
でもよく見たらなんか毛がびっしり生えてる。多分ねずみだよ。
マンションの上の貯水タンクにねずみやら人間やらの死体が紛れ込んでるってよくある話さ。
いやでも、何でこんなのが入ってて水が正常に流れたんだろうって。いや、一瞬詰まったけどさ。
それより何より、こんなでかいのがこんな細い水道管をどうやって流れてきたんだと思う?
でも実際あるんだよな。浴槽の中に。
よく見たら洗い場の排水溝の所にも何匹か死んでるんだ。
で、俺はどうしようかと思案して、いまだ結局そのままなんだ。
そのままのほうがなんだかいい気がしてさ。動かしちゃいけない気がするんだ。
この感覚わかるだろ?
おまえ以外の奴に話したらそんなもん早く捨てろって言われるだけの気がしてさ」
そう言ってカズヨシが僕のうちに風呂を借りにきた。
僕がちょっと考えるあいだにカズヨシはすばやくラークに火をつけた。
暗い廊下に赤い火がゆれて、尾を引くように赤い軌跡を焼きつけた。
「……いいよ」
僕はカズヨシの家の風呂場には先週死んだヨシミの長い髪の毛がうずたかく積もってるのを知っている。
その3日後、カズヨシは死んだ。
きっと風呂に入れなくて、でも僕にたびたび借りるのも気が引けて、死んでしまったんだと思う。
かわいそうなやつだ。
と、言うのはもちろんウソで、(当たり前だ。それじゃあ、やりすぎってもんだ)
カズヨシはまだ僕のうちの風呂に入っている。
それももうかれこれ二時間になる。
僕はカズヨシがうちの風呂で死んでやしないかとちょっと心配なだけだ。
もし、カズヨシまで死んでしまったら僕はいったい誰のうちに風呂を借りに行けばいいのだろう?
2. レズビアン・ブルース
駐車場の横に細くのびる一本道の片側には、まばらに街灯が立って、やる気なく光を発している。
その奥にはチープなネオンサインが見え隠れし、道の両側に立ち並ぶ背の低い建物を光の霧の中にぼんやりと浮かび上がらせていた。
「…ホテル街、ってやつですか」
牽制するように、私はつぶやいた。
「でも、住所は近いよ、ホラ」
アヤさんはそういって電柱に貼られた緑の金属板を指差す。そこには確かに道玄坂1-16と書かれていた。
「じゃあいってみますか、とりあえず」
「ですな」
私たちはその小道に踏み込んだ。しかし行けども行けども目的の場所は見つからない。
「こんなきょろきょろしてたら、その筋の人に目つけられてバラされてコンクリート詰めにされて東京湾に捨てられちゃうよ」
私は努めてここに慣れている風を装っていたが、おそらくそうは見られないだろうことを知っていた。
「そうか売り飛ばされちゃうかもね」
アヤさんも不自然なくらい普段どおりの声で言った。
「そうなったら親にしかられるだろうなー」
「殺されたら叱られるもなにもないじゃん」
「そうだけどさ」
「しかも死んだ我が子を叱る親なんて聞いたことないよ」
ウソ寒い調子でアヤさんが言う。アヤさんは親の愛情なんてものの存在を信じてない。
「だって今日はアヤさんの家に泊まるって言ってきたんだもん」
「あー、なるほどね」
アヤさんはセーラムを取り出して火をつけると、盛大に煙を吐き出した。
「『子供が無免の人の車に乗って事故って死んでもその死を悲しむ前に無免の人の車に乗る見識を嘆くだろう親』だっけ?」
「そう。だから、ここで死ぬのは避けなきゃね。何言われるもんだかわかりゃしない」
五十メートルほど先に、二人の人影が見えた。私たちがそっちの方に歩いて行くと、二人は逃げるように建物の中へ入って行った。
私とアヤさんは追い越しざまその様子を無言で観察した。
しばらくアヤさんのサンダルがアスファルトを打つ音だけが続いた。近くを通っていたはずの国道の騒音はなぜかもうほとんど聞こえない。
曇った夜空は渋谷の街の光を反射して、電源の落ちきらないテレビのブラウン管のような掠れた色をして、けだるく頭上に溜まっていた。
「手、でもつないでみますか」
アヤさんが唐突に口を開いた。
「手、ですか…」
私はいいながら、アヤさんの手をとってみた。
「こんな感じでよろしいでしょうか」
「いいんじゃないでしょうか」
私とアヤさんはしばらく真面目な顔をで手を取り合いながら進んだ。時折、アヤさんがプハーと煙を吐き出す。
どうせ握るなら女の子の手の方が柔らかくてすべすべしているからいいなと思った。
向かいから人が(やはり二人)歩いてきて、お互いそ知らぬ顔ですれ違った。しかしすれ違う瞬間、相手が二人ともちらりとこちらに視線をやったのが分かった。私とアヤさんはそのまま十歩ほどまっすぐ歩いて、その後全く同時に堪えきれなくなって吹き出した。
「見てたね、今の人」
「うん、見てた」
しばらく私たちは身をよじるようにして、忍び笑いを漏らし続けていた。ふと、体を折るようにして腹を押さえていた私の目に、再び電柱の看板が目に入った。
「あれ、アヤさん」
思わす私は声をあげた。ん?とアヤさんも私の視線の先を見る。
「行き過ぎみたいです。円山町だって」
「ほんとだ。じゃあ道玄坂1-18ってどこよ?」
元来た道を少し戻り、途中脇道に入ってみる。そこもやはり怪しげな道だった。
「なさそうだね」
「うん、ないね」
いいながらも、その道に入ってゆく。
「このまま見つからなかったら、どうする?」
「どうしようか」
「この中のどれかに入ってみるとか」
「私はかまわないよ。お金もってるかは微妙だけど」
そう答えた私に、アヤさんは無言だった。表情はいささかの変化も見せなかった。
その道は行き止まりだった。私たちはまた引き返し、別の脇道へと入る。
「もはや渋谷駅がどっち方向だったかも分からなくなってきたな」
「帰れんのかな」
「不安?」
「いや。…正直よく分からない」
「まあ、いざとなったらそれこそ泊まるところはいっぱいあるし」
「うん」
大きな通りへ出た。それは駅から伸びる通りで、そこから私たちは来たのだった。つまり、先ほど入って行った通りの2本隣の道から出てきただけの話だった。
「戻ってきちゃったね」
私はいささかがっかりして、その場に不良座りをした。
アヤさんは短くなってきた三本目のセーラムをピッと弾くとアスファルトに押し付けて踏みにじった。
「あーあー、そこのコンビニに吸い殻入れあるよ」
「あそっか。コンビニで地図見ればよくない?」
「それはなんか負けた気がするな…」
いいながらも私は立ち上がり、パンツについたしわを伸ばす。
コンビニに向かって歩きながら、アヤさんは挑戦的に振り返った。
「もしさっき私が『ここに入ってしたい』っていったら、した?」
私はその問いに対して、既に答えを用意していた。
「したんじゃないかな…」
「なんで?」
「よく分からないから」
アヤさんはかすかに苦笑いすると、セーラムのフタをあけて私に差し出した。私が一本とってくわえると、アヤさんの細い指がライターの火を差し出した。
「私でも多分そう答えるだろうな」
アヤさんはライターをウォレットにしまいながら独り言のようにつぶやいた。
踵を返してすたすたと歩き出したアヤさんは、もう振り返らなかった。
3. 誘蛾灯ワーク
22:00頃 年齢不詳のOL来店
またこれだ。なんとかってやつが入ってるヨーグルト。
先週みのもんたがTVで「体にいい」とか言ったもんだから来る客来る客みんな同じヨーグルトを買っていく。
「120円がいってーん」
僕はちらりと目の前の客を見た。OLのような服装だが、大きくうねる縦ロールの茶髪は会社員にしては派手すぎるように思えた。それに、なにより顔立ちが二十歳以上にはどうしてもみえない。
「…290円が一点で、合計ーー」
僕はもう一度視線をやった。相変わらず目の前の女は斜めに体を構えてレジ台を睨んでいる。その瞳に苛立ちの影が走ったのが見えたので、僕は急いで「女・10代」のボタンを押した。実際より若い年齢と思われて怒る女はいない。とは言ってもなんのボタン押したかなんて教える義務もないのだが…
「1092円になります。スプーンはご利用になられますか?」
女は首を振った。やはり女の歳はわからない。
「こちらお品物になります。1100円お預かりします」
実は先週もこの客は来た。レジは別のバイトが担当したが、スウェットにヘアバンドで店内をうろうろしていたのを覚えている。服装がだらだらなのに、髪の毛だけはきっちり縦ロールなのが妙に目をひいた。
「…8円のお返しになります」
レシートに8円を重ねて渡そうとすると、受け取ろうと出しかけた手を女はすっと引っ込めた。僕は意味がわからなくて、そのまま女の顔をバカみたいに見返した。一瞬の間見つめあう二人。小説ならこんなところから恋が始まったりするが、実際にはそんなことは起こらない。起こらない。起こらない。
「…レシート、いらない」
ようやくいらだたしげに女が口を開いた。
ああ、と僕はレシートを引っ込めようとしたが、スタッフルームに「レシートは必ずお渡ししてください。トラブルの元になります」と張り紙がしてあったのを思い出してそれも思いとどまった。しかし、いらないって本人が言ってるんだし…
「早く!急いでるんですけど!」
僕は反射的に「申し訳ありません」と謝って、8円だけを女の手のひらに押し付けた。
女は8円を受け取ったときにはもうほとんど歩き出していて、僕がレジの引き出しを閉めると同時に自動ドアが開いて店から出ていった。店は国道に面していて、外はもう真っ暗だがガラス越しに車のテールランプが尾を引くように流れているのが店の中からも見える。自動ドアが開いた瞬間だけ、外の車のタイヤがアスファルトを蹴るノイズ音がどっと流れ込んでくる。
「ありがとうございました〜またお越しくださいませ〜」
自動ドアの開く音に条件反射的に口をついて出てくる言葉。
「ありがとう〜ございました〜」
「ありがと〜ございっした〜」
他の店員も次々に声を出す。
僕は手の中のレシートを制服のポケットに突っ込んで「なかったこと」にした。
23:00頃 ハシモトさん退勤
「ミカちゃん!」
奥からヤスモリさんがやって来た。
「はい?」
僕の隣でおでんの具を追加したり、肉まんを補充していたハシモトさんが答える。
「おでん終わりそう?」
「ああ、もうおしまいです」
「あそう。じゃあセイイチくんと、レジ替わって。11時で上がりだよね?」
「はい、そうです」
「うん、じゃ、それまでの間セイイチくん先に雑誌始めててくんない?オレウォークインいるから、なんかあったら呼んで」
「はい、わかりました」
ヤスモリさんがスタッフルームの方に帰っていくと、ハシモトさんは名札にバーコードリーダーを当てた。
そのとき、自動ドアが開いてくたびれたスーツの会社員らしき男がまっすぐにレジへやってきた。
「マイセン」
男はただ一言そういうと、レジ台に手をついて、せかすようにつま先をとんとんと床に打ち付けた。
レジに立っていたハシモトさんはキョトンとしている。僕はレジを出ようと踵を返したところだったが、でしゃばりと思われないようにタイミングを計ってハシモトさんの隣に立った。
「申し訳ありません。当店ではタバコは取り扱っておりません」
「えっ、ないの?」
男はいささか怒ったような声をあげた。
「店を出られまして左手の建物の1Fに自動販売機がございますのでそちらをご利用ください」
何度も繰り返したセリフはすらすらと口から流れ出た。
「ふーん」
男は不満そうにしながら店を出ていった。不満といったって、でたらめな注文をしたことへの羞恥心が半分だろう。僕は少しも気にしない。
それよりも、ハシモトさんに恥をかかせてしまわなかったかが心配だ。
「ああ〜、マイセンて、マイセンかぁ」
ハシモトさんは屈託なく笑う。
「タバコ置いてるかなんてそんなの見ればわかるじゃん〜。突然そんなん言われたら何かと思うよ」
「そうですよね」
僕はハシモトさんが気にしていないようなので安心して相づちを打った。
ハシモトさんはちょっと驚いたように僕を見て、そのあとちょっと笑った。
「セイイチさんて、タカヒロさんにも敬語ですよね。タメですよね?」
タカヒロというのはヤスモリさんの下の名前だ。
「ヤスモリさんのほうがバイト暦長いし、たくさん入ってて仕事とか詳しいですから…」
「じゃあ、私セイイチさんと同じ時に入ったからタメ語でいい?」
「いいですよ」
「ですよ、って。セイイチさんが私に敬語使ったら意味ないじゃん〜」
ハシモトさんはハハハと笑った。僕も笑って、
「そうですね」
と答えた。答えた後でしまったと思ったが、もう遅かった。ハシモトさんはもう笑ってくれなかった。
カラーフレームのメガネでオシャレ系を気取っていたのも全てが無駄になった。「誰にでも丁寧語でしか話せないキモい系のやつ」と認識されてしまったのだ。明日からはハシモトさんのみならず、バイトの人全員が、ボクのことを「セイイチくん」ではなく「ミウラさん」と呼ぶようになるのだろう。
僕はがっくりと肩を落として搬入された雑誌の陳列にとりかかった。
Hanako、an an、TVガイド、ブロス、B-ing、ヤンマガ、メンノン…
メンノンの特集はスニーカーか。そう言えばスニーカー買おうと思ってたんだ。ペラペラめくりながら帰りにこれ買って帰ろう、と思う。
通りに面した書棚の向こうのガラスに、時折鈍い衝突音とともに蛾がぶつかってくる。僕はその度に顔を上げてバカな奴らだ、と思う。このまえなんて、ハトが思いっきり激突して、ガラスに血が付いて大変だった。ハトはその下に死んでいた。ぶつかった直後に手当をすれば助かったかも知れないが、朝まで誰も気付かなかったのだ。
付近には深夜まで煌煌と明かりをつけて営業している建物は多くないので、虫も、人も明かりに引き付けられるように次々とやってくる。
僕がヤンマガを積み上げ終えた途端にも、高校生風の男の子が四、五人で入ってきて書棚の前に座り込むと今陳列したばかりのヤンマガを読みはじめた。店員を押しのけてあまりに堂々と座り込むので、僕は座り込みを注意することができない。「わかってるよ」と言われるだけのような気がするし、そう言われたら言い返せる自信がない。それに、その隣の成人漫画のコーナーに立っている年齢不詳のボス夫(いつもボスジャンを着ているのでそう呼ばれている)はもう一時間以上もエロ本を立ち読みしている。高校生だけを注意することはできないと思った。そのかわりに僕はエロ本を買うのと立ち読みするのではどっちが恥ずかしいかということについて考えてみた。答えは出なかった。
ハシモトさんが上がる時刻になったので、僕はレジを交代した。
「お疲れ様でした〜、お先に失礼しまーす」
と、ハシモトさんは笑顔を向けてくれたが、それは「キモい」人への優越感の表れのように僕には思えて、ちっともうれしくなかった。
ハシモトさんが店を出ていくと、長い夜が始まる。
24:00頃 ネコおばさん来店
毎日ご来店のお得意さま、ネコおばさん。いつもネコ砂を2袋買って行く。その他にもネコの餌や日用品を大量に買い込み、「自分でつめるからいいわよ」といってプラスチック袋を何枚か要求する。
「こんばんは。あら、十二時過ぎちゃったからおはようかしらねぇ、おほほほほほっ」
と言いながら店内に入ってくる。誰に言っているのかよく分からないが一番近くにいたのは僕だったので曖昧な笑顔を向けておいた。
しばらくしておばさんはいつものネコ砂と、ネコ缶と、トイレットペーパーと軍手とお得用のキットカットとハムとサンドイッチ用のパンとハーゲンダッツをカゴに入れてレジへやってきた。
「明日孫の運動会なのにお弁当の材料が足りないのに気付いちゃったのよ〜」
僕は黙々とバーコードをスキャンをしながら、
「そうなんですか。お孫さん、幼稚園ですか?」
「いいえ〜、今年小学校に上がったの」
「そうですか」
「あっ、袋は置いてくれればいいからね、自分でいれるから」
僕はそう言われるのが分かっていたので、言われると同時に袋を二枚、カゴへ放り込んだ。
「合計3648円になります」
「そう言えばこのアイスも新発売の味でしょ? さっき見かけて驚いちゃってつい買っちゃったわ」
言いながら、一万円札をトレイに乗せる。おばさんが一万円札以外で買い物をしたのを僕は見たことがない。
僕はレジ台の脇に置いてある、小さなビニール袋の箱に手をのばした。
「そう、それにお釣りを入れてくれればいいわ」
僕は頷いて、
「一万円からお預かりします。6352円のお返しになります」
僕はお釣りとレシートを透明のビニル袋に入れると口を縛って、せっせと荷物をつめているおばさんに渡した。
「ありがとっ、また来るわね!」
おばさんは大きな袋を下げて元気に店を出て行った。おばさんの孫はどうやら成長しているらしい。以前聞いた時は幼稚園のお泊まり保育がどうのと言っていた。子供は成長して当たり前だが、僕はあのおばさんには子供も孫もいないのではないかと思っている。他のバイトの人に話したことはないが、他の人もきっとそう思っていると思う。買い物の内容が子供のいる家庭には思えないし、そもそもコンビニで日用品を毎日買っている人なんて見たことがない。
多分、あのおばさんの家にはネコしか住んでいない。
僕は当初あまり親しげにネコおばさんが話しかけてくる事に対して、おばさんというものは得てして若い男に甘いものだという感想を抱いていたのだが、次第にネコおばさんは若い男に限らず、人間自体が恋しいのではないかと思いはじめた。
ネコおばさんの店を去る後ろ姿はいつもどこか寂しげに見えたからだ。
25:15頃 高校生カップル来店
僕は未だにこの子たちがよく分からない。朝のシフトで店に入ると登校前に軽食を買う制服姿の二人を見ることができるし、夕方のシフトでは学校から帰って着替えてすぐと思われる二人がやってくる。
そしてこんな時間にも、スウェットの上下にヘアバンドという明らかに「おウチ」なスタイルでそろって来店する。
「え〜フランは明治だって。だってポッキーはグリコじゃん?」
女の方が大仰に後ろをついてきた男を振り返る。
そしてたっぷり十五分は店内をうろうろした挙げ句、いつも1.5リットルの水と、500mlコーラと、お得用の揚げせんべいを買って行く。同棲しているとしか思えない。
二人の通う高校は(制服を見れば分かる)、地元の高校でわざわざ遠くから通う人などいないような平凡な高校だ。中学から東京の学校に通っていた僕には想像がつかない。地元の学校に通い、地元の女と付き合い、地元のコンビニに入り浸り、地元で遊び、地元で同棲する。僕は、きっと何かを忘れている。あるいは知り損ねた。
プリン頭をヘアバンドでまとめて伸びきったスウェットの裾を踏んづけながらオレンジ色のカゴを持って店内を彷徨う二人が、僕にはひどく眩しく映る。
女がレジ台にどん、と置いたカゴに、男が整髪料とさっき僕が並べたメンノンを突っ込んだ。
「なにそれ」
「メンノン」
「ふーん」
「雑誌は袋をお分けしますか?」
「テープでいいよ」
「恐れ入ります」
僕は1.5リットルペットを男が持ち、残りの荷物を女が持って二人並んで家に帰る後ろ姿を想像しながら商品を二つの袋に分けて詰めた。
「1276円のお買い上げになります」
「れいちゃん、76円ある?」
「ない。ていうか財布持ってない」
レジ台に無造作に1300円がばらまかれた。
「1300円お預かりします。24円のお返しになります」
女の方は荷物をもって店をでようとしており、店のテープを貼ったメンノンを丸めてスウェットパンツの尻ポケットに突っ込んだ男が釣りを受け取りざま「東南アジア植林キャンペーン募金」の箱に入れた。そしてレシートだけを器用にその下のゴミ箱に捨てる。その一連の動作があまりにもこなれていて、僕は思わず見とれた。
「ありがとうございました〜 またお越し下さいませ!」
僕はいつもより少しだけ深くおじぎをした。
26:00 126円が来ない
いつもなら24:00から遅くとも26:00までに来店して120円の「くるみとレーズンたっぷりパン」だけを買って行くサラリーマンが今日はまだ現れない。いつも消費税込みの126円ぴったりを置いて足早に去って行く人だから、今日は小銭が見つからなかったのかもしれない。
僕はなんだか釈然としない。
26:30 126円どころか、客自体来ない
正確に言えば、店内に人は10人弱いる。しかし誰もレジには来ない。一通り見回って外に出るか、雑誌を立ち読みしている。こんな時間にわざわざコンビニに来るのだから何か買う目的があったんじゃないかと思うのだが、意外に多くの人が何も買わずに出て行く。
僕はヒマなのでコミックを袋詰めにしながら客を観察していた。
客が少ないうちに掃除をしておこうかな、と思ったとたん、126円が来た。僕は自分で思っていた以上にほっとした。
126円は来る。必ず、だ。
ところが、126円が「くるみとレーズンたっぷりパン」をわしづかみにしたクシャリという音を合図にでもしたかのように、突然店内の客がレジに並びはじめた。お前らさっきまで散々ぶらぶらしてたくせに、一人並ぶとなんで一斉にレジに来るんだよ! レジひとつ一人で並べないのか!
僕は仕方ないのでバックルームのブザーボタンを押し、「すいませーん!レジお願いします!」と叫んだ。
126円の前には三人が並んでいたが、126円は何を急いでいるのかすぐにしびれを切らし、「ここ置いとくから」と、126円をレジ台に置いて店を出て行ってしまった。
そんな村の八百屋じゃないんだから、金だけ払えばいいってもんじゃないんだよ…
僕は「お客さま!」と、言いかけたが、抜け駆けされた他の客が苛ついているのが分かったので、追いかけている暇はなかった。
並んでいる客を片付けたあと、仕方ないので他の「くるみとレーズンたっぷりパン」をスキャンして126円を打った。これを再び誰かが買ったり廃棄されたら二重にスキャンされるが、大丈夫なのだろうか。僕は深くは考えないことにして、再びコミックを袋に詰めはじめた。
27:00 休憩はいる
休憩をとってバックルームでコーヒーをすすった。
返品用に積み上げてある古雑誌を手に取る。「春ヘア100 ちょい甘が今年風」。
パラパラとめくっていると、ヤスモリさんが廃棄処理後の端末処理をしに入ってきた。ヤスモリさんはちらりと雑誌に目をやって、「その表紙の女の子、かわいくね?」と言った。僕は「そうですね」と答えた。休憩は皆バラバラに取るから、休憩中に雑談をすることもなかったし、仕事中は特別暇な時以外仕事に関係のない話をするのはなんとなくためらわれた。なにか自分の感想を付け加えようかと迷ったが、特に面白い感想も思い浮かばなかったので、会話はそこで終わってしまった。
5:45 ハシモトさんが出勤
早朝シフトのハシモトさんが店に現れた。
「おはようございまーす」
と、バックルームに足早に向かうハシモトさんに僕は精いっぱいの笑顔を作った。
「おはよう…」
ございます、は言わないことにした。いまさら遅いことだが。
店の外を見ると、ほんのかすかだが空が白みはじめていた。冬の朝は遅い。僕は今さらながら、店の中の明かりが眩しすぎるように感じた。硬質な手触りの光。目に毒だ。僕は毒の光に一晩中体を晒していた。
7:00 勤務時間おわり
検品作業をしていたユヅキさんとレジをかわってバックルームへ。
「お先に失礼します」
というと、ユヅキさんと、おでんの仕込みをしていたハシモトさんが「おつかれさまでーす」と、声を揃えた。
制服を脱ぎ、勤怠の登録をし、バックルームから出る。そう言えばメンノンを買おうと思ってたんだった。僕は自分の並べたメンノンと缶コーヒーを手に取り、レジに向かった。
出勤前の会社員で店は混雑している。僕がレジに並んでいると、ユヅキさんが「レジお願いしまーす」と言って、ハシモトさんがレジに立った。列の何人かがハシモトさんのレジに流れた。僕はなんとなくそっちに行くことができなかった。
「おつかれさまでーす」
ユヅキさんはにっこり笑ってレジを打つ。
「あ、袋いいです」
「恐れ入りまーす」
ユヅキさんは同僚に接客用語を使うことに対する照れ笑いを浮かべながら、お釣りを渡してくれた。
僕はメンノンを丸めて持ち、お釣りを募金箱に入れ、レシートをゴミ箱に捨てる。あの高校生ほどではないが、初めてにしてはスムーズに動作できたように思う。僕は満足した。
「お先に失礼します」
僕はかなり自然に笑い返せたように思う。
「お先に失礼しまーす」
僕は店を出るときにハシモトさんにも声をかけた。接客中のハシモトさんは、それでも目線をこちらに向けて、笑顔で会釈をした。
外はいつの間にかかなり明るくなっていた。
ダンプカーが目の前の道路を轟音とともに走り抜ける。石油臭いにおいとともに、朝特有の瑞々しいにおいがした。冬の光は低いところからさして、硬くて、やさしい。僕は夜が明けきってしまう前の今くらいの空が好きだ。好きだ。好きだ。
そうだ。家に帰って冷蔵庫の中にあるヨーグルトを食べよう。
はやく家に帰ろう。
僕は小走りに駅へ向かった。
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